SSブログ

名人に香車を引いた

前記事の続きになります。

升田は本当に陣屋旅館に怒って対局拒否をしたのか。(私感)

旅館に出向いたけど誰も升田を応対せず30分も玄関で待たされていた・・・・
あるいは、
女中が応対し、物貰い(乞食のこと)は通用口に回ってください、と言われたとか・・・・
升田の人を気にしないあの風貌ですから。

升田本人が語るだけで本当にそうだったのか・・・
この様子を誰も見ていませんからね。

旅館は丁重に謝罪し、その後玄関に太鼓を置くようになります。

img_5360.jpg

陣太鼓にちなんだのですね。
これを叩けばお客様がすぐわかるわけですからね。

その後しばらくして升田から旅館へ訪れてにこやかに和解をしております。
これを見ても升田の真意、知ることができません。
その旅館で、

9__4.jpg

升田の名句です。


さて、なんとか無事に納まったわけですがまたやってくるのですね。
1956年。
また王将戦。
今度は当時名人だった大山康晴に。
実は升田と大山は師匠が同じ兄弟棋士。
升田が兄弟子にあたります。

img_585e7b3329b742e2ca9000da93bbf83f424394.jpg

なんといきなり升田の三連勝!
大山名人相手に香車を引くことに。
今度は何の遠慮も要りません。(私感)
相手は弟弟子ですから。
そして、
升田が勝ちました!
本当に名人に香車を引いて勝ってしまったのです。
ところでこの王将戦、早く終ってはつまらないので7番勝負は全部する制度になっています。
タイトルは決まってもまだ勝負は続くことになります。
それどころか、また香車を引いて・・・・

そのころ母親の病状が思わしくなく故郷に戻って母親と話します。
母親は「そのへんでやめておけ。
と言ったそうです。
それが原因か、その後の勝負を棄権します。

その後の升田の言葉です。

「喜びがね、日々段々脹れ上がってきた。
もう、人は死んで、(自分も)いつ死んでもいいが、何百何千年経ってもね、俺の名前が残るというね。
時が経つほどね、やっぱり負かしといてよかったと
将棋が始まって私だけだから。
名人に駒をおろした人は。」

私が注目するのは下線部です。
やっぱり名人に大恥をかかせること・・・・
子供の時の夢だったかもしれないけど現実となると・・・・
人間升田は悩んだのでしょう。
あの陣屋事件も。

升田のこと、もうちょっと書いてみたいので次回に。

升田の名句。

たどり来て、
今だ山麓

 

nice!(18)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

nice! 18

コメント 2

コメントの受付は締め切りました
mwainfo

いつもお寄り頂き有難うございます。
私も一番好きな棋士、升田は、序盤の名手、角使いが上手い。「新手一生」をモットーに、財政会の大物たちに、理を突き抜けた金言を授けた。野球の3割バッターには、将棋は3割では飯が食えんと言った。切れ味鋭い升田は、小次郎、運鈍根の大山は武蔵と言ったところでしょうか。

by mwainfo (2018-03-25 13:30) 

HOLDON

>mwainfoさん、
いつも広い分野に的確なご意見を書かれていて感心しております。
スランプだった長嶋はその升田の一言で脱したのですね。
升田も本当に広い分野に目を向けて的確な意見を述べておりました。
新手一生。
晩年の升田式石田流を勉強して私は四段まで行くことができましたよ。
残した業績も多くて書ききれませんがもうちょっと書いてみたいな、と思っております。またご助言いただければ幸いでです。
今日はありがとうございました。
by HOLDON (2018-03-25 16:27)