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一番好きな棋士

それは升田幸三です。
こういう人は多いでしょう。
また現在のプロ棋士に、一度でいいから指してみたい棋士は誰かと問われると「升田幸三」と答える人も多いです。
あの天才羽生永世七冠も、「碁は打ってもらったが将棋はだめでした。」と答えています。

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写真は一番覚えのある顔なので載せました。
ここ時期はもう全盛期を過ぎたころ。
木村義雄十四世名人と戦っていた頃が一番強かったのではないでしょうか。
それでも晩年まで強かったのですよ。
教祖様みたいですね。
私は高校生の時からのファンでした。
あまりご存知で無い方はどうぞウィキペディアでご覧ください。

この大先生の残した偉業や言葉はあまりに多いので書ききれませんが、
やっぱり「名人に香車を引いて勝つ」でしょう。

当時名人位とは絶対的な地位で不敗的な存在でした。
<香車を引く>とは相手が少し弱いので盤面から自分の香車一枚を外して勝負を始めることですね。
それを名人相手にやって勝つ、と物差しに書置きして16歳の時に家を出ます。
実現したら大事件という書置きでした。
いかにも升田幸三、と思いますが実際は少し違う、と正直に言う升田がまたすばらいいです。
実際は、
「この幸三、名人に香車を引いて勝つために大阪に行く」でした。

当時「王将戦」というタイトルができて、
7番勝負でのこのタイトル戦は三番手直りといって決まるまでに先に三勝差になってしまったら残りの対局は勝っている方が香車を落とす一番を入れる、いう制度を取り入れたのです。

それを時の名人、木村義男に!

陣屋事件
1951年のこと。

まさか起こるまいと思われた「名人に香車を引く」勝負の時が来たのです。
ところが、です。
升田幸三は対局拒否を!
だから実現しなかった!
今こそ升田幸三の夢を実現する時が来たのに!
なぜか。

いろんな理由が書かれています。
その前に新しくできたこの王将戦の制度に升田は反対していました。
昔から四番手直りというのはありましたが三番手直りは厳しすぎると。
「名人の権威を失墜させる」とまで升田は言っております。
でも升田の提言は受けられていません。
三勝差になったときでも本当に「香車を引く」と信じていなかったみたいです。
他にもいっぱい私も読みました。
「時の名人に香車を引く」のも大事件だし、タイトル戦での対局拒否も大事件でしたからね。
陣屋という旅館の升田に対する無礼な扱い・・・・
旅館が謝りに来ても許さなかった・・・・
(旅館を替えてくれたら対局すると言っています)
関西将棋棋士への差別・・・・
などなど・・・・
しかし実際は・・・・升田は後にも詳しく語っていない気がします。
私が思うに・・・(全くの想像です)

木村義男に歴史的な大恥をかかせたくなかったからではないかと。

升田は当然不戦敗になりますがその後の勝負に勝って王将位を得ました。
しかし当然厳しい処分が待っています。
一年間の出場停止や王将位の奪回など・・・・
ところが、
その憂き目を救うかのように木村義雄が許すように進言して落着したのです。
升田の心を察したのか・・・・

そしてこれで終わりなら升田ではない・・・・

続きは次回ででも。

CIMG0066_800.jpg
咲くだけ咲いて散ろうとしない・・・・


タグ:升田幸三
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Clara

どの世界にも天才は・・・・ということで

バッハの「ゴールトベルク変奏曲」のバス定旋律を使った14の各種カノン。

↓手書き楽譜
http://www.music.qub.ac.uk/tomita/bachbib/review/BWV1087facs.jpg

↓カノンの解読と演奏。
https://www.youtube.com/watch?v=6h6AabkLvEE

コンピュータのない時代、バッハの頭の中が凄過ぎてもう笑うしかない・・・
by Clara (2018-04-21 02:29) 

Clara

で、上記の解説が理解できたら同じくバッハの王の旋律による「音楽の捧げもの」のカノンを改めて見てみると・・・・
https://youtu.be/PcTVkOzrzQs?t=6m34s

おったまげです。

以上、久しぶりの押し付けカキコですがお許しを。
バッハがすごすぎるのでつい投稿しました。
by Clara (2018-04-21 02:53) 

HOLDON

> Claraさん、
バッハのすごさ、わかったような顔をしていますが山麓どころかまだ麓。
楽しみ!
ただ明日またセッション・・・・
明日帰ってから。
ありがとうございます。
by HOLDON (2018-04-21 08:41)