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悲劇の謎(母)

園芸ばかりなので音楽記事です。
過去のホームページに連載した「乾いた愛でも」の再現です。
すでに「悲劇の謎(父)」までは再現できておりましたがその後放置でした。
がんばって最後まで再現したいと思います。

「乾いた愛」の始まりでは?


母、アンナ・マリーア
私はこの母がモーツァルトの人格を知る上の重要人物と思っています。
でも何を調べても残念ながら資料が乏しすぎるのです。
海老沢氏は
「家事に熱心で忠実に夫に従い、夫や子供にひたすら愛情を捧げた。」と言う反面、
「モーツァルトの度重なる実生活上の失敗は母親譲りでは。」とも書いています。
そう、男の子は母親の影響が大きいと思うのです。
モーツァルトは後に、本当の恋は実らず、その妹(姉よりも醜く、性格も良くない、言といわれている)コンスタンツェと結婚しました。
悪妻と言われたあのコンスタンツェ。
モーツァルトは陰謀によって無理矢理結婚させられた、姉との大失恋でやけくそで結婚した、という説が正しいとは思うのですが、6人もの子供をもうけています。
私はこのコンスタンツエが母親に似ていたのでは、と思うのです。
よく自分の母親と似た女性にあこがれる、と言われますよね。
モーツァルトは21歳の時母と旅をします。
いつも同行する父レーオポルトが行かなかったのは許可が下りなかったから、と言われていましたが、その後許可は下りていたことがわかっています。
あくまで私の推定ですが、モーツァルトが拒んだのでは、と思うのです。
いわゆる乳離れ(父離れ)では。21歳ですからね。
ところが! 大きな失敗が
この旅のため父は就職活動のための沢山の紹介状を用意していたのですが、母はこれをすべて置き忘れたまま出かけたのです!
正直に言って、こんな母親っているでしょうか?
モーツァルト一人で旅をさせなかったのはこういう紹介状の管理や父との連絡を密にするためだったと思うからです。
後を知ると、この不幸がモーツァルトの運命を決めた、と言っても過言ではありませんでした。
(紹介状がないため重要人物に会えなかった)
母は旅の途中、馬車から落ちたのが原因で亡くなりました
さぞかし、父レーオポルトはこの旅を恨んだことでしょう。何のためにお前が着いていったんだと。。。。
モーツァルトの死後、すぐにデスマスクが作られましたが、妻のコンスタンツェはそれを落として割ってしまいます。
私は、母の失敗とコンスタンツェのこの失敗が結びついて仕方がありません。
そしてもう一つ、
モーツァルトは本当に母親の深い愛で育ったんだろうかと・・・・
5歳から旅を続けたモーツァルトに・・・

 

データーの都合で途中までです。

つづく


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