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天才との出会い

<渇いた愛でも> 

天才との出会い  (2003年記)


モーツァルトってどれだけ天才なんでしょう
厳しく追及しよう!

3歳の時にピアノに向かい、小さな手で3度の和音をたたいた
天才の証明にはならないと思っています。
姉のナンネルは父レーオポルトに毎日スパルタレッスンを受けていたいました。3歳のモーツァルトも当然それを見ていたわけで視覚的に覚えるのはどんな子供も同じだと思うのですが。
 
4歳から勉強を初め、30分教えただけでメヌエットを弾いた
父はナンネルと同じ練習帳をモーツァルトに使っています。耳、あるいは視覚的に姉からすでに学んでいたはずです。確かにすぐれてはいますが天才とは決めつけがたいです。
だいたい、同じことをさせたら下の子の方が何でも早いと思いませんか?
どんな父も、「我が子は天才だ!」って思ってしまうんですよね。
 
8分の一低い音程を聞き分けた
父の楽団の友人でシャハトナーは幼少のモーツァルトに影響を与えた最初の人物です。彼の使うバイオリンは柔らかい音色で、モーツァルトは<バターのバイオリン>と名付けていましたが、モーツァルトがある日それを弾いてみたとき、「おじさん、音程が8分の一低いよ。」と言ったそうです。後で父が調べるとモーツァルトが正しかったこのがわかり、父はびっくりしたといいます。
これは絶対音感の問題で天才と言うほどでもないと思います。
うーん、でもまぁ、8分の一はすごいですなぁ・・・・
 
布切れをかぶせたピアノを正確に弾いた
6歳からヨーロッパ各地の旅が始まりますが、その見せ物はこのピアノ演奏でした。
先ほどから書こうとしていますが、子供というのは頭で行動したり考えたりしないで、視覚的、聴覚的な感覚のみで行うものです。
英才教育を受けているモーツァルトには布の下の鍵盤は見えているのです。
当時はこの見せ物で「神童」と騒いでいたんですね。
 
門外不出の秘曲を一度聴いただけで正確に譜面にした
イタリア旅行14歳の時。ヴァチカン宮殿付属の礼拝堂で歌われる名曲「ミゼレーレ」は礼拝堂以外では演奏が許されず、楽譜も写すことが許されていませんでした。モーツァルトはこの9声二重合唱を一度聴いただけで完璧に譜面にすることができたといいます。その天才ぶりにローマ教皇から<黄金拍車>勲章を授かるくらいでした。
 
これには確かに脱帽しますが、このときすでに70曲以上も作曲をしていて当時の曲のパターンは父から十分に教えられています。まして聖歌となればなおさらでしょう。
 
子供というのは大人では考えつかない才能を持つものです。
私ごとですが、私の娘が5歳くらいの時50pほどの同じジグソーパズルを何度も何度もしていましたが、一番最初に僕が適当に一切れを渡すと瞬時にそれのあるべき位置に置いたのでびっくりしたものです。
これは子供の「残像能力」によるもので頭の中には出来上がり図があるのです。一片をを渡すとその「残像」に合う場所が脳裏に浮かんで見えるのです。
子供とはそんなものだと思います。
モーツァルトも音楽の「残像」が一度聞いただけでいつまでも存在してしていたんです。
また「残像」に比較的なりやすい曲だったのではないでしょうか。
従ってこれもすごいことはすごいが天才とまでは言い難いですネ。
 
14歳でアカデーミア・フィラルモニカの会員になる
厳格な対位法の試験で20歳以上が会員の資格となる名誉あるものを特別に受けさせてもらい、普通の人では3時間でも仕上げられないが、モーツァルトは一時間もかからずに仕上げたといいます。
IQ190って本当かも・・・
うーん、これはやっぱり天才かなぁ・・・  突っ込むところがないっていうか、よくわからないっすナ。
 
弦楽四重奏「ハイドンセット」
一ヶ月もあれば交響曲でも作れるモーツァルトが全6曲に2年以上もかけているので普通ではないことが伺えます。
そして専門家はこの四重奏に使われた技法は誰もまねが出来ないほど斬新で難しい、と言っています。
私にはとうてい理解は出来ませんが、ここに天才あり! と言われたら信じる他は無いですなぁ。
 
確かに第一曲K387)のフィナーレで、真ん中少し前からのフーガや対位法や和声法を半音階ですべらせているところ、息を呑みます。


  過去記より

そしてあの第6曲不協和音」は一部とは言え、なんと無調音楽です。
二台のためのフーガ、ピアノソナタハ短調(K426)が元になっているんですが、聴衆なんか眼中にないとんでもない作品でした。

  過去記事より

モーツァルトはこんな時代にすでに無調音楽もやったんですね。
和声法を放棄した現代音楽のシューンベルグたちとは根本が違うように思います。
天才を信じる他はなさそう。かなぁ
 
真の天才
ま、私には上のような難しい技術のことはわからないですナ。
私が思う天才は彼の人間からあふれる天使のような美しさだと思っています。
確かにお気に入りになるためにもたくさんの曲を書いたし、当時も同じような作曲家はたくさんいました。
でも美しさが違うんです。取り立てることもない旋律はモーツァルトの巧みな進行によって天使のような美しさに変わるのです。
 
この誰もまねが出来ない美しさこそモーツァルトの真の天才性と思っています。

つづく


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コメント 2

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はげちゃん

コウさん、なかなかきびしい天才論ですねェ
でも、これだけのことを書けることがすごいなァ、と思います。

そして、はげちゃんが、そうだ、そのとおりだァ、と膝をうって感心したのが、コウさんの次の言葉です。

『私が思う天才は彼の人間からあふれる天使のような美しさだと思っています。』

まったく、そのとおりだと思います。
常々思うのは、あの、モーツァルト音楽の美しさは、まさに天から与えられたものだと、心の底から思っています。

バッハや、ベートーベンをはじめとして、歴史に残る音楽家たちも、たしかに皆天才だと思います。

しかし、同じ天才でも、モーツァルトはちょっとちがいますね。
ほんとに、天の音楽という気がします。

モーツァルトばんざい ♪♪♪♪
by はげちゃん (2010-10-22 11:12) 

コウ

音楽の真の天才は3人しかいないと聞いたことがあります。
バッハ、モーツァルト、最後はサンサーンスです。誰が言ったか忘れましたが。
サンサーンスは他の事(学術など)に忙しくて真剣に音楽を書いたのは「動物の謝肉祭」くらい・・とのことでした。
面白いですねぇ。

モーツァルトは誤解が多すぎるところが惹かれました。
私も誤解していた一人です。

幼稚、
どれも同じような曲、
苦労知らず、
宮廷のお気に入りの曲ばかり、
人を馬鹿にする、
下品・・・・・

全部誤解なのですねぇ。

このシリーズ、本当はこれからなんですよ。
これからが「渇いた愛でも」なんです。
でもすいません。
ちょっと休憩・・・・
もう一つのところで書きます~

いつも元気に来ていただくはげちゃんに感謝です♪
by コウ (2010-10-24 07:15) 

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