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第二の出会い

続いて「渇いた愛でも(2003年6月記)」からです。

第二の出会い・・・それは 海老沢敏氏

ハフナー・セレナーデのあと聴いたのがヴァイオリン協奏曲3番です。
モーツァルトはヴァイオリン協奏曲を5曲書いていて、これらは長い旅が終わり故郷に戻った5年間の間に作られています。
およそ15歳から20歳まで。
モーツァルトがこの故郷にいた5年間がもっとも幸せなときだったのではないでしょうか。

でも帰郷当時しばらくは短調の弦楽四重奏や、有名な交響曲25番ト短調があり、激しい、あるいは悲しい思いがこもった名曲や不安定な曲が作られ、このヴァイオリン協奏曲3番からころっと音楽が変わってきたようです。

長調でフランス風な、あるいはギャラントスタイルといわれるものに・・・・

そう、まさに心が落ち着き、優しいモーツァルトが戻ったように思います。
この3番の後にハフナー・セレナードが生まれました。

モーツァルトが少しずつでも心身共に成長しつつあるときだったと思います。
すなわち僕は一番すばらしい彼の時期から聴くことが出来たのです。

私が苦境から脱出するにもっとも適した音楽のわけだったのです!

モーツァルトが18,19歳の時。
そう、まさに私が苦しんでいた時と同じ年齢でした。

確かそのようにNHKの解説で海老沢氏が語っていて感銘を受けたのです。

下はベタ打ちのMIDIファイルをMp3にしたものです。

バイオリン協奏曲第3番(K216)一楽章





海老沢敏さんの著書↓

モーツァルト
wolfgang amadeus mozart /1756/91
海老沢敏・音楽友之社   大音楽家・人と作品  S40/9 より



モーツァルトのことを書いている著書は山ほどありますが、海老沢氏のモーツァルトが一番客観的、かつ正確ではないでしょうか。

モーツァルトの生涯や性格を知るにはモーツァルトや彼の家族の手紙(書簡)しか無いだろうと海老沢氏は言っています。

実はモーツァルトの妻コンスタンツェはモーツァルトの死後ニッセンという男と再婚しています。このニッセンはモーツァルトの伝記を書き始めましたが、ニッセンも死に、コンスタンツェがこの伝記をまとめました。
いずれ書きますが、この伝記は信用出来ないものと私は思っています。

理由は三つあります。
一つはモーツアルトはどこに埋葬されたのかも書いていないこと。
  普通なら葬儀はどうだったかとか、その後でもお参りをしたとか書くのでは?
二つ目はモーツアルトのデスマスクを何故壊したのかも書いていないこと。
  デスマスクが取られたのは事実でした。この大切なものをどうしたのか?
三つ目はモーツァルトが妻に送った手紙の多数が無いこと。
  自分に不利な手紙は処分したようです。
そんな妻がいますか?

これにより、誤解、あるいは曲解されたモーツァルト像が出来上がりました。
この伝記が元で妻は恩給を受け豊かに暮らせました。
また皮肉なことにモーツァルトの評価も上がったようです。

海老沢氏はこの伝記は貴重な資料、と言うにとどまっています。

さらに海老沢氏の著書の良いところはモーツァルトの年表とともに、他の音楽家の様子、歴史的な社会の背景とを照らし合わせて書いています。

そして、作品の紹介も私情を入れず、「美しいといわれている」、とか、「・・・で有名」、という程度にしています。

こういうところに海老沢氏が冷静にモーツァルトを書こうとしているのがわかりました。

故にこの著書により、モーツァルトの音楽がより好きになった大きな出会いの一つであったと思います。

つづく


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